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畏るべしピカソ―「ピカソのミューズたち」を読む(集英社 月間PLAYBOY Vol.34 No.11掲載記事)

 アーティストの情報をわかりやすく、しかも体系的に纏めた特集をときどき組む雑誌PLAYBOY誌11月号が「ピカソの女神(ミューズ)たち」と題した特集を組んでいる。この特集のなかの、西洋美術史専攻の岡部昌幸氏と塚田美香子氏が執筆した「ピカソが愛した9人の女たち」という記事は、ピカソ人間像の探究のための手引きとして最適である。岡部氏はピカソ作品の鑑賞に関する本を執筆しており、塚田氏は日本におけるピカソ受容史の研究者なので、叙述も客観的であり、筆が滑りそうになる刺激的な話題に差し掛かっても、よく抑制された叙述である。

 ジェルメーヌ・ガルガーリョ(Germaine Gargallo 1881-1948)、フェルナンド・オリヴィエ(Fernand Olivier 1881-1966)、エヴァ・グエル(Eva Gouel 1885-1915)、ギャビー・レスピナス(Gaby Lespinasse 1888-1970)、オルガ・コクローヴァ(正妻・ピカソに先立ち死亡 Olga Khokhlova 1891-1955)、マリー=テレーズ・ヴァルテル(Marie-Therese Walter 1909-1977)、ドラ・マール(Dora Maar 1907-1997)、フランソワーズ・ジロー(Francoise Gilot 1921―御存命)、ジャクリーヌ・ロック(オルガ没後に結婚した二番目の妻 Jacqueline Roque 1927-1986)[正しくは仏語表記のため、上記の氏名アルファベットは不正確です。雑誌でお確かめください。]

 以上が採り上げられている九人の女性である。ピカソとの関係性を詮索する一助となりそうなので、年齢差を計算してみよう。ピカソが1881年生まれなので、ピカソ生年を基準にすると、だいたい次のようになるだろう。ジェルメーヌ・ガルガーリョ(同い年)、フェルナンド・オリヴィエ(同い年)、エヴァ・グエル(-4年)、ギャビー・レスピナス(+7年)、オルガ・コクローヴァ(-10年)、マリー=テレーズ・ヴァルテル(-28年)、ドラ・マール(-26年)、フランソワーズ・ジロー(-40年)、ジャクリーヌ・ロック(-46年)。

 はじめの頃の恋人たちは同い年から前後10年までの年齢差の範囲に収まるが、結婚後の恋人(愛人)たちとなると、二回りから三回りの年の差となり、二番目の正妻とは四回りちかい年の差となる。よく知られているように、その関係は、老いたピカソと、常識的に見れば信じられないほど年の離れた若い恋人たちという組み合わせである。

 もうひとつ別の角度からピカソとの恋愛関係を持った女性たちを並べて調べてみたいのは、死因である。一気呵成にこの記事を読んでみた印象として、どの女性も不幸な末路を歩んだような印象が残ったからだ。他の文献に当たる余裕が無いので、「ピカソが愛した9人の女たち」だけから、亡くなった七人の死因を拾い集めてみたいと思う。ジェルメーヌ・ガルガーリョ(記事だけからは断定できないが、おそらく病死)、フェルナンド・オリヴィエ(記事からは不明)、エヴァ・グエル(病死)、ギャビー・レスピナス(記事からは不明)、オルガ・コクローヴァ(精神病をながく患い癌のため死亡)、マリー=テレーズ・ヴァルテル(首吊り自殺)、ドラ・マール(長命:89歳で逝去/記事からは死因不明)、ジャクリーヌ・ロック(ピストル自殺)。

 自殺者についていえば、マリー=テレーズはピカソの歿後四年目、ピカソとの奇跡的な出会いから50年目にあたる年に、遺産相続問題を解決した後の後追い自殺であり、ジャクリーヌ・ロックはピカソとの(おそらく濃密な)思い出から逃れられない日々での自殺である。二人とも明らかに亡きピカソへの追想から逃れられぬ結果としての後追い自殺であろう。前者の場合はピカソとの間に一子マヤをもうけ、そのマヤの子にあたるピカソの孫たちが三人も誕生している時期の自殺。後者の場合には、ピカソの最後の創作意欲を掻き立て、独占的に晩年のピカソの面倒を看た正妻だからこそ突き当たってしまった深い悲しみのなかでの自殺なのではないかと思う。

 自殺者のほかにも、ピカソとの逢瀬や生活がその人生に濃い影を落としたと思われる女性たちがいる。オルガ・コクローヴァは、何らか生来の気質があったのかどうかはわからないが、ながらく精神を患い隠遁的生活を送る。彼女とピカソとの間に生まれたパウロ・ピカソの子供のうち一人はピカソの葬儀後に自殺。自ら写真家や画家としても活躍したドラ・マールは、詩人エリュアールからの求婚を断り、修道女となってしまう。雑誌では、詩人の求婚を「ピカソのあとは神だけ」という言葉で断ったことが紹介されている。ピカソが結婚前に逢瀬を重ねたギャビー・レスピナスは、アメリカ人銅版画家の妻であり、ピカソとは不倫の関係だった。このため、二人の関係が実証されたのは、ギャビー・レスピナスと夫が亡くなり、遺族が遺品整理をした後のことである。ピカソがギャビーに送った臆面も無い愛の言葉を綴った手紙には、おそらくは二人の愛の巣を描いた室内の風景が描き添えられている。軽妙な筆致のその美しい水彩画は、途方も無い額面の資産であると同時に、ギャビーの家庭や遺族に複雑な心理的な翳を落としたのかもしれない。(空想過剰かもしれぬが、小説『マディソン郡の橋』の冒頭部分を思い出してしまう。)

 岡部昌幸氏は「ピカソが愛した9人の女たち」のなかで、フランソワーズ・ジローだけが「彼女は、ピカソを「裏切った」唯一の女性だった」と評している。彼女はピカソとの間に、クロードとパロマという二人の子供をもうけている。二人目のパロマが生まれたのは、1949年なので、ピカソ68歳のときの実子である。生殖能力にかかわるこの一事をもってしても、ピカソが驚異的な生命力の持ち主であったことが理解できる。フランソワーズ・ジローは、自分を賛美しながら不倫を続けるピカソを見限り、二人の子供を連れてピカソと生活していた南仏からパリに逃れ、別の男と電撃的に結婚をしてしまう。「彼女は、ピカソを「裏切った」唯一の女性だった」とは、このことを指している。

 その後、ピカソの介入で、フランソワーズは離婚。離婚の陰にピカソ自身が動いたにもかかわらず、ピカソはジャクリーヌ・ロックと結婚。こうした修羅場のような情況の後に、1964年、ピカソとの間に交わされた手紙などをもとにして、暴露的な『ピカソとの生活』をフランソワーズが出版。世界の美術界に一大センセーションを巻き起こした。その後、ポリオ研究やエイズ研究の第一人者として名高い研究者と彼女は結婚し、今に至っているという。

 フランソワーズだけが、いわばピカソのデモーニッシュな毒によって、致死傷を負わずに、生き延びたミューズなのではなかろうか。毒には毒をもって制すとは言うが、彼女が安息の家庭を築いた生涯の伴侶が、猛毒ウィルスに打ち勝つワクチンを開発する研究者であるというところに、なにか笑えぬ運命の皮肉を感じてしまうのは、やはり悪趣味に過ぎる見方かもしれない。

 それにしても、ピカソとは何者なのだろうか。このような人間関係の記録を読めば、その人間像が解明されるのかといえば、そうではない。むしろ、別れの後姿に漂う底知れぬ冷酷さと、出会いから生活を共にする期間にみられる女性への愛情の純度の高さには、到底、埋めがたいギャップがあり、魔的なピカソの変貌がある。トータルにみれば、転がる石をこそ模範とするような、<安定への嫌悪>をその歩みに読み取るべきなのかもしれない。その燃えながら転がる石に付き添い愛憎の渦に巻き込まれた女性たちもまた、どこか凡俗を超越し、聖と俗の裂け目を跨いだ稀有な人々にみえてしまう。

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コメント

Dr.トランプさん江
 コメントをありがとうございます。記事を書いていてもなかなかコメントを書いてくださる方が少ないのが悩みです。励みになります。ときどきご覧になって頂ければ幸いです。
 いまでは,男性誌の分類から総合雑誌/アート雑誌のほうに重心を移した月間PLAYBOY誌のピカソ特集号もぜひご覧下さい。ピカソの日常を伝える素晴らしい写真がたくさん載っています。ピカソの恋人や妻や愛人の写真もたくさん掲載されており、彼女たちからもただならぬオーラが発せられていることがよくわかります。
 この素晴らしい雑誌も終焉が近づいているとのことですが、出版社は取材や執筆クルーを解体せず、新たなアート雑誌発刊に向けて再出発して欲しいと思います。

投稿: photo@style | 2008.10.22 19:08

ピカソの女性遍歴の末に到来したミューゼの末路がとても面白かったです。以外に不幸な結末に、人生の憐れみを感じます。ありがとうございました。

投稿: Dr.トランプ | 2008.10.15 17:37

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